大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所 昭和38年(ヨ)425号 判決

申請人 橋本 サカエ

被申請人 医療法人 青心会

主文

本件申請を却下する。

訴訟費用は申請人の負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

申請人訴訟代理人は、「申請人が被申請人の従業員である地位を仮に定める。被申請人は、申請人に対し金六五、六〇〇円及び昭和三八年一〇月から本案判決確定の月に至るまで毎月二五日に金一六、四〇〇円を仮に支払え。」との裁判を求め、被申請人訴訟代理人は、「本件仮処分申請を却下する。」との裁判を求めた。

第二、申請の理由

一、被申請人は、医療法(昭和二三年法律第二〇五号)に基づく医療法人であつて、肩書所在地において西福岡病院(昭和三八年六月以前は長垂療養所と称した)と称する結核療養所を経営している。一方申請人は、看護婦として右病院に勤務する被申請人の従業員であり、且つ、右病院勤務の従業員で組織する長垂療養所労働組合の書記長である。

二、被申請人は、昭和三八年六月一二日申請人に対し、同日付で就業規則第四六条第一号ないし第三号第六号第一三号第一四号、第四八条第四号により懲戒解雇(以下本件解雇という)する旨の通知を発し、右通知は同日申請人に到達した。

三、しかし、本件解雇は次の(一)ないし(三)のような理由で無効のものである。

(一)  申請人は就業規則第四六条の右各号に該当するような行為をしたことはない。仮に、申請人にそのような行為があつたとしても、本件解雇は、同条所定の懲戒の程度を逸脱した重きに失する処分である。従つて、いずれにしても、本件解雇は、就業規則の解釈、適用を誤つたものとして無効のものである。なお、被申請人の主張する個個の解雇理由についての申請人の認否及び主張は別紙二のとおりである。

(二)  本件解雇は、労働組合法第七条第一号及び第三号の禁止する不当労働行為としても無効のものである。

即ち、申請人らの組織する前記長垂療養所労働組合は、まだ前記西福岡病院が長垂療養所と称していた昭和三六年四月頃結成され、即日福岡県医療労働組合協議会に加盟したものであるが、申請人は、右組合結成の中心的人物として努力し結成後は書記長として従業員の労働条件の向上のために尽力してきたものである。被申請人は、申請人のこれらの活動を嫌悪し、又右組合の中核である申請人を排除して組合自体を弱体化させることを企図して、本件解雇に及んだものである。

従つて、本件解雇は、申請人が正当な労働組合活動をしたことの故をもつてなされたものであり、且つ労働組合に対する支配介入行為というべきであるから、労働組合法第七条第一号及び第三号違反の不当労働行為として無効のものである。

(三)  本件解雇は解雇権の濫用としても無効である。

四、申請人は、被申請人から、毎月二五日に当月分の固定賃金として金一六、四〇〇円の支給を受けていたが、昭和三八年六月分以降は、本件解雇を理由に支給を停止された。しかしながら、本件解雇は前記のとおり無効のものであるから、申請人は同月分以降も従来どおりの賃金支払請求権を失わない。

五、ところで、申請人は、被申請人からの賃金を唯一の収入として生活しているいわゆる賃金労働者であつて、本件解雇後は臨時に日雇の仕事等により辛うじて生活を維持している。しかし、既に借金も嵩んでいる状態であつて、被申請人を相手方として従業員たる地位確認の本案訴訟を提起するよう準備中ではあるが、その判決確定までには回復し難い損害を被る虞れがある。

よつて、右判決確定までの間、被申請人の従業員たる地位を仮に定め、且つ本件解雇後の賃金の仮払い(昭和三八年六月から同年九月までの分として毎月金一六、四〇〇円づつ計金六五、六〇〇円及び同年一〇月以降毎月金一六、四〇〇円づつを毎月二五日に支払うこと)を命ずる仮処分の発令を求めて本件申請に及んだ。

第三、被申請人の答弁と主張

一、申請の理由一及び二の事実は、申請人が現在もなお被申請人の従業員であるとの点を除き、その余はすべて認める。申請人は、本件解雇通告当時までその主張のとおりの病院に勤務する被申請人の従業員であつたが、右通告によりその地位を失つた。

二、申請の理由三の本件解雇が無効であるとの主張は争う。即ち

(一)  本件解雇は、別紙一のとおりの理由でなされたものであつて、就業規則の正当な解釈、適用に基づくものである。

(二)  申請の理由三の(二)及び(三)の事実中、申請人主張の頃その主張のとおりの労働組合が結成されたこと、以来申請人がその書記長であつたことは認めるが、その余は否認する。

三、申請の理由四の事実中、申請人が本件解雇後も賃金支払請求権を有するとの点は否認するが、その余はすべて認める。

四、申請の理由五の主張は争う。即ち、

(一)  申請人は、独身で且つ扶養すべき家族もないものであるが本件解雇通告後被申請人の再三の要求にもかかわらず、従前どおり被申請人方の寮に居住し続け、しかも、部屋代、電燈代等一切の費用を支払つていない。一方その収入面はといえば、被申請人方に勤務していた二年一〇ケ月間には家具類は一切購入し得なかつたのに、本件解雇後一年九ケ月を経た昭和四〇年三月新製品の家具多数を購入した事実があるのであつて、現在では本件解雇前の収入を実質的に上まわる収入を得ていることが推認出来る。してみれば、申請人において、その主張の本案訴訟の判決確定までに回復し難い損害を被るというようなことはあり得ないというべきである。

(二)  申請人は、看護婦の資格を有する技術者であるが、看護婦不足の時代にもかかわらず本件解雇後看護婦として他に就職することが全然なかつた。このことは、申請人が看護婦としての適性を有しないことが一般に知れ渡つているか、あるいは申請人において看護婦として働く意思が全然ないことを示すものであつて、このような場合には地位保全の仮処分の必要性はないというべきである。

第四、証拠関係〈省略〉

理由

第一、被申請人は、医療法(昭和二三年法律第二〇五号)に基づく医療法人であつて、その肩書所在地において西福岡病院(昭和三八年六月までは長垂療養所と称した、以下単に病院という)と称する結核療養所を経営しているものであること、しかして、申請人は、看護婦として右病院に勤務する被申請人の従業員であつたが、昭和三八年六月一二日被申請人から、別紙一の各事実を理由とし就業規則第四六条第一号ないし第三号第六号第一三号第一四号、第四八条第四号に基づいた本件解雇の通知を受領したこと、就業規則の右各条号の内容は被申請人主張のとおりであること、なお、申請人は病院勤務の被申請人方従業員で組織する長垂療養所労働組合の書記長であること、以上の事実は当事者間に争いがない。

第二、そこで、別紙一の各事実の存否(就業規則該当性の点は後に論及する)について先ず検討する。

一、経歴詐称行為(別紙一の一の事実)について

申請人が病院に看護婦として採用されたのが昭和三五年八月一一日であつたこと、その時までに申請人には被申請人主張の(イ)ないし(ハ)の経歴があつたのに、右採用の際病院に提出された申請人作成の履歴書にはこれらの経歴が全然記載されていなかつたことは、当事者間に争いがない。

ところで、成立に争いのない疎乙第一号証及び第一六号証、証人園田ツヨ(一回)及び同朔進の各証言並びに被申請人代表者の尋問の結果(一回)を合わせ考えると、(一)、申請人は、病院に採用される際、昭和二八年(申請人はその頃中国から帰国した)以降右採用時までの約七年間の経歴中同三一年六月から同三三年七月までの二年余の間大分市所在高橋外科病院に婦長として勤務した事実だけを履歴書に記載し、他は、少なくとも前記(イ)ないし(ハ)の経歴があつたのに、履歴書の上には勿論その他の方法によつても全然病院側に明らかにしなかつた。(二)、のみならず、右約七年間の内履歴書に記載した右二年余の期間以外の期間について、申請人は、採用の際面接の衝に当たつた病院の園田婦長に対し、「直方の姉の所の手伝いをしていた。」と答えて、その旨同婦長を誤信させた。(三)、前記(イ)の山田外科病院在職中、原因は必ずしも明確ではないが、申請人と警察官との間にトラブルが生じ、そのため同病院の院長と申請人との間にも気まずい空気があつた。同(ロ)の遠賀療養所では臨時看護婦として採用されたが試採用期間が経過しても遂に本採用とならなかつた。同(ハ)の板橋病院には婦長として迎えられ同病院に住み込んだが、勤務時間が終ると毎晩のようにダンスホールに出かけ、帰つて来て偶々急患等で他の従業員が忙しくても勤務時間外だからと自室に閉じこもつて顔を出さず又同病院長自身が多忙な時でも見て見ぬ振りをしていたというような状態で、同院長の期待したような勤務振りではなかつたため、就職後五箇月程で婦長を解任された。以上(一)ないし(三)の事実が疎明される。しかしてこれらの事実に照らすと、申請人は、病院に採用されようとして故意に前記(イ)ないし(ハ)の経歴を秘匿し、且つその間直方の姉の所に手伝いをしていたと偽つてその旨病院側を誤信せしめ、その結果採用されるに至つたものというべきである。申請人本人の尋問の結果(一、三回)中右認定に反する部分は採用出来ない。

二、経歴詐称行為以外の事実(別紙一の二ないし五の各事実)について

成立に争いのない疎乙第四号証、第五号証、第一〇号証の一ないし一三、疎甲第一三号証及び第一四号証、証人園田ツヨの証言(二回)によりその成立を認め得る疎乙第二号証、同証言(四回)により成立を認め得る疎乙第九号証、証人園田ツヨ(二、三回)、同岩下久夫、同岸川利行及び同松本君子の各証言、被申請人代表者の尋問の結果(一、二回)、申請人本人の尋問の結果(一ないし四回)、以上の各証拠によつて疎明される事実並びに当事者間に争いのない事実を総合すれば次の(一)、(二)のとおりとなる。なお、右証拠中これらの事実に反する部分は採用しない。

(一)  二の冒頭記載の事実については、看護婦の患者に応接する態度についての被申請人の主張は看護婦の執務態度として当然の事柄ではあるが、この点につき被申請人が具体的明示的に指示した事実の疎明はない。

同(一)ないし(三)、(五)、(八)ないし(一〇)、三の(三)ないし(一一)、(一三)、四の(一)ないし(九)の各事実は、ほぼ被申請人主張のとおり。

(二)  その余の事実中、

二の(四)の事実

「申請人が忘れていたため」との疎明はないが、その余の事実はほぼ被申請人主張のとおり。

同(六)の事実

同日同患者に対し清拭をする予定にはなつていなかつたが、同患者はその予定になつているものと思い込んで仕舞つていたため、被申請人主張のような事態が生じたものである。同患者が右のように思い込んで仕舞つたのは申請人が同患者に対し十分なる事情説明をしなかつたためである。

同(七)の事実

同患者が申請人に対し、私物のストレプトマイシン注射薬の注射について医師に尋ねてくれるよう要望したとの点については疎明十分でないが、その余の事実は被申請人主張のとおり。

三の(一)の事実

その頃申請人と同看護婦とが口論したとの事実はあるが、申請人が同看護婦を面罵したとの点の疎明はない。

同(二)の事実

この事実の疎明はない。

同(一二)の事実

同患者の外泊申出書にあらかじめ申請人の印が押捺されていたかどうかについては疎明十分といえないが、その余はほぼ被申請人主張のとおり。

五の事実

びら貼り行為の目的が明らかに患者に対する扇動であつたとの点は必ずしも肯認し得ないが、その余の事実関係並びに主張は被申請人主張のとおり。

第三、次に、以上認定の各事実の就業規則該当性ないしその適用の当否等について考察する。

一、前記第二の一の経歴詐称行為が就業規則第四六条第一号所定の、経歴を偽つて採用されたものに当たることは明らかであり、そこで認定した(一)ないし(三)の事実に徴すれば、秘匿された経歴が病院側に判明していたかどうかは、申請人の採否に当たり決定的影響を及ぼしたであろうことを推認するに難くなく、従つて、このような経歴は同号のいわゆる重要経歴に当たるものというべきである。

してみれば、右経歴詐称行為は、被申請人主張のとおり同条号に該当するものということが出来る。

二、前記第二の二で認定したその余の事実について考える。

(1)  患者に対する不都合な諸行為

(一)の事実は二号後段(就業規則第四六条第二号後段のこと以下単に何号という場合は同様)には該当するけれども三号六号には該当しない。けだし、三号所定の業務遂行の阻害とはそれを意図しあるいは認識しつつ積極的に病院の診療業務の運営を阻止する行為を指称するものというべきところ、申請人の当該行為はこれに該当するものとはいえず、又六号所定の業務上の指示の存在について疎明がないこと第二の二の(一)に説示したとおりであるからである。

(二)の事実は二号後段には該当するけれども、三号六号一三号には該当しない。即ち申請人の婦長に対する本件言動は上長に対する態度として穏当を欠くものではあるが一三号にいわゆる重大な侮辱とするのは相当でなく、三号六号についての判断は前記(一)の事実の場合と同じである。

(三)の事実についての判断は前記(一)の事実についての判断と同じ。

(四)の事実は二号後段一四号には該当するけれども、三号六号一三号には該当しない。非該当の理由は前記(二)の事実についての説示と同じである。

(五)の事実についての判断は前記(一)の事実についての判断と同じ。

(六)の事実についての判断は前記(四)の事実についての判断と同じ。

(七)の事実についての判断は前記(一)の事実についての判断と同じ。

(八)の事実中五月二日の申請人の行為は、病院の管理運営の責任者たる安藤理事長の明示の指示に反した行為であるから、その限りにおいて六号に該当するけれども、その余の点を含む同事実全般が二号後段三号一四号に該当することはにわかに肯認し難い。

(九)の事実についての判断は前記(一)の事実についての判断と同じ。

(一〇)の事実についての判断は前記(一)の事実についての判断と同じ。なお、申請人はこの事実について正当な組合活動であると主張しているので案ずるに、前記第二で用いた証拠によれば、その日の総決起大会において病院の患者の誰かに応援の挨拶を依頼することに決定したについては、申請人がこれを主謀、企画し且つ自ら実行したものであること、籾井患者が挨拶に出たのは自発的なものとは言い難いがさりとて同患者の意思に反して強引に引張り出したものでもないことが疎明される。

ところで、本件におけるように、看護婦その他の従業員と病院経営者ないし医師が争議状態にあつて鋭く対立している場合、双方が互いに患者特に入院患者を自己の側に引き入れようとしてこれに働き掛けることは、労使いずれの側からのものでも、それ自体正当な活動と目することは相当でない。即ち、患者特に本件におけるが如き結核の入院患者は、看護婦その他の従業員の側からも又病院ないし医師側からも等しく、誠実なる診察、看護その他の処遇を受けなければ、治療本来の目的を十分に果たし得ずひいてはその生命をも危険にさらされる、いわば両者に生殺与奪の権を握られているといつても過言でない特殊な立場にある。しかして、患者が、そのいずれの側かに投じて対立関係に入ることは右の立場と根本的に相容れないものであり、又他方、右いずれの側からにせよその働き掛けがあつた場合これに対して自己の考えを貫き通すということは極めて至難な業に属するものといわねばならない。右両者が労使として対立している場合にはこのことは特に顕著といえるのであつて、その場合両者いずれの側からにせよその働き掛けによつて、患者を自己の側へ引き入れもつて他の側と対立する関係に立ち至らしめようとすることは、当該患者が真に自発的に行動した場合その他これに準ずる特殊の場合に限るものというべく、右特段の事情のない限り、違法なものとすることが、患者の立場の保護ないしはその意思の尊重という人道上ないし人権尊重の見地から相当と考えられる。本事実中の総決起大会の決定が右観点(当時労使が鋭く対立していたことは後記認定のとおり)から原則として違法とされるべきであることは明らかであり、申請人は、これを主謀、企画した上、右のような特段の事情もなく且つ被申請人主張のとおり病状最も重い同患者に対し実行したものであるから、これをもつて正当な組合活動と目し得ないものといわねばならない。

(2)  上司や他の従業員に対する不都合な諸行為

(一)、(三)、(四)、(六)ないし(九)の事実は、申請人が職務執行の態度において極めて自我が強く上司ないし同僚との間に協調性柔軟性を欠いていることを示し、しかして申請人のこのような性格言動は病院の管理運営上好ましくないものということが出来るけれども、いまだもつて上司又は同僚に対し一三号所定の重大な侮辱を加えたものと判定するのは相当でない。

(五)の事実は、看護婦のなすべき職務行為でないことを依頼されてこれを拒否したに過ぎないから、従前からの慣行に照らし同僚に対し親切心を欠き又言動に穏当でない点があつたとしても、これをもつて同僚に対し侮辱を加えたものとはいい難く、一三号に該当しない。

(一〇)の事実は、同事実中の申請人と園田婦長との楢崎看護婦に関する問答が看護婦の採用配置に関する婦長と主任看護婦たる申請人との職務上の意見の対立調節過程における論争とも目すべきものであつて、第一病棟に楢崎看護婦を回してもらいたい旨の婦長の言も指示命令ではなく依頼ないし相談の範囲を出ないものであるから、二号後段三号六号一三号のいずれに該当するともいい難い。

(一一)の事実は二号後段には該当するが、三号一三号に該当するものとするのは相当でない。

(一二)の事実は二号後段には該当するが、いまだもつて三号六号一三号に該当する行為ということは出来ない。

(一三)の事実中、安藤理事長とのやりとりが申請人主張のとおり組合活動としてなされたものであることは明らかであるが、右活動は勤務時間中のものであり、それを認める協約もなく、又具体的な許可もない本件においてはこれを正当なものとすることは出来ない。しかし、さらばとて、当時は後に認定するとおり労使の対立関係が最も激化していた最中であつたから、労使の交渉に際し本事実摘示のような言動があつたからといつて、これをもつて直ちに職務に誠実でないとか業務遂行を阻害したとか命令指示違反ないし重大な侮辱を上司に加えたとして被申請人主張の就業規則の各号に該当するものと判定するのは相当でない。

(3)  出勤正常でない行為

(一)ないし(九)の事実は、いずれも二号前段に該当する。しかして、このうち(二)、(五)ないし(九)の行為について申請人は正当な組合活動であると主張するのであるが、たとえこれらが組合活動のためであつたとしてもいずれも無断欠勤、勤務時間中の勝手な離席等であつてこれを正当な組合活動ということは出来ない。

(4)  びら貼り行為

これが正当な組合活動と目し得ないこと、申請人がこれを企画指導したことはいずれも前記第二で認定したとおりであつて、三号に該当する違法行為と判定するを相当とするも、二号後段六号一三号に該当するとは断定し難い。

三、以上一、二の検討の結果に徴し本件解雇の適否について判断する。

被申請人が懲戒事由に該当すると主張する多数の事実中、この点が否定される事実は相当数にのぼる(上司や他の従業員に対する不都合な諸行為中(一)、(三)ないし(一〇)、(一三)の各事実。なお、(二)の事実はその存在自体疎明がない)。しかし、これらのうち(二)の事実を除くその余の事実は、懲戒事由該当性は否定されるけれども被申請人主張の事実自体はほぼその疎明があり、これらは、前にも触れたように、申請人が強烈な自我を堅持し上司その他の同僚との間に折合が悪く協調性柔軟性を欠く性格を有することを示すものであり、これが患者に対するとき職務に誠実でない懲戒事由該当の幾多の事実(患者に対する不都合な諸行為)として顕現したものと推認される。しかして、被申請人としては、申請人に前記経歴詐称行為がなければ申請人の右性格等に関する認識を誤ることなく、看護婦として採用しなかつたであろうことを推認するに難くない。してみれば、経歴詐称の事実、患者に対する不都合な諸行為、出勤正常でない行為、びら貼り行為等先に認定判断した諸事由を総合して検討するとき、本件解雇が懲戒の程度を逸脱したものとか、解雇権の濫用であるとすることは出来ない。

されば、本件解雇は就業規則の解釈、適用を誤つてなされた無効のものであるとか、あるいは解雇権を濫用した無効のものであるとの申請人の主張は採用出来ない。

第四、次に、申請人主張の不当労働行為の成否の点につき検討する。

一、一般に、労働者が正当な組合活動をなし、あるいは使用者が労働組合に対する支配介入の意思を有し、このことと労働者に対する解雇との間に相当因果関係が存在するときは、他に同解雇についての一応の理由があつたとしても、その解雇は不当労働行為としてその効力を否定するのが相当と解されるので、以下この見地に立つて検討する。

二、病院がまだ長垂療養所と称していた昭和三六年四月頃病院勤務の従業員で組織する長垂療養所労働組合が結成されたこと、右結成以来申請人がその書記長であることは当事者間に争いがない。

しかして、成立に争いのない疎甲第六号証、第一〇号証ないし第二三号証(但し、疎甲第六号証、第一九号証、第二一号証についてはその原本の存在及び成立について争いがない)証人渡辺敏江、同内田通、同村田重博(一、二回)、同石井俊郎の各証言並びに申請人本人の尋問の結果(三回)に前記第二で用いた各証拠を総合すれば、次の(一)ないし(三)の事実が疎明される。

(一)  申請人は、右組合の結成に当たり中心的人物として活躍したのみならず、その後の組合の運営や活動のすべてにおいて書記長の地位にあつて、その中核として率先努力してきたものである。

(二)  しかして、右組合は、結成以来数次にわたり賃上げ等の要求を掲げて病院側と対立し、その都度一応の妥結をみて協定を成立せしめる等の活動をしてきたものであるが、一律二、〇〇〇円の賃上げ等の要求呈示に始まる昭和三八年のいわゆる春期闘争はやや長期化し、同年六月に入つて労使の交渉は最も激化するに至つた。その矢先本件解雇がなされたものである。即ち、同年四月二日に右要求が呈示されたのに対し、病院側は、同月四日総額三〇、〇〇〇円の範囲内で賃上げをする等の回答をしたが、組合側の容れるところとならず、結局五月九日に至り最終回答として本俸につき一律六一〇円危険手当につき六一円の昇給をする旨の方針を呈示した。組合側はこれを了承せず、労使の対立はその頃から激しさを増した。しかして、組合側は、同月一四日から一七日にわたり別紙一の五のような経過、態様でびら貼りを実施し、同じ頃同二の(一〇)のとおり組合の総決起大会を開催し、その際重症患者を応援挨拶のため連れ出すという事態が発生するに至つた。又同月二八日には申請人外四名の看護婦が同一の四(五)のとおり組合の闘争支援のため病院を訪れた高千穂製紙労働組合員と応接し、そのためその頃申請人らは、勤務時間中無断で職場を離れたとして出勤停止処分に処せられた。ところで、団体交渉の方は、同月一六日付書面で病院側が組合に対し、前もつて組合の意思の具体的結論を知らせること及び五日間争議行為その他病院に威圧を加える可能性のあるあらゆる組合活動をしないことの二条件を守らない限り団体交渉に応じない旨申し入れ、その後六月初めに至るまでにも団体交渉の当事者、員数、時間、場所等に関し要望をなし、これらの点について両者の意見が対立したまま五月中旬以降開催の運びとならなかつた。概略右のような経過に引続いて六月一二日本件解雇通告がなされたものである。組合の活動は本件解雇により多大の影響を被り、右春期闘争は同年七月末頃組合側において見るべき成果をあげ得ずして終結するに至つた。

(三)  ところで、本件解雇の理由たる前記認定の各事実は、経歴詐称行為を除いていずれもその発生の都度病院側に明らかになつていたものであり、殊に昭和三七年二月頃には申請人と共に働く看護婦その他の病院従業員十数名が書面をもつて病院側に対し、別紙二の(一)、(三)、三の(四)、(五)、四の(一)の各事実を含む具体的事実を掲げ、申請人が同僚にとつても患者にとつても不都合な性格の持主であることを指摘し善処を要望するというようなこともあつた。又同三八年二月には、申請人が以前小倉板櫃病院に勤務していた事実が病院側に発覚するところとなり、従つて経歴詐称行為の一部もその頃既に明らかになつていたものである。

しかしながら、被申請人は本件解雇に至るまで前記出勤停止処分の外申請人に対し特段の処置をした形跡は見当たらない。

三、右二のような事情に徴すれば、本件解雇が組合の前記昭和三八年春期の闘争及びその際の申請人の組合活動を契機とし、これと関連を有するものであることは否定し得ない。

しかしながら、被申請人代表者の尋問の結果(一回)によれば、被申請人は昭和三八年二月前記のように申請人の秘匿経歴の一部が発覚したことを機に申請人の前歴について調査を始め、本件解雇の直前である同年六月初旬に至つてようやく本件解雇理由に示されたような経歴詐称行為の全貌が明らかになつたものであることが疎明される。この事実と、前記認定の本件解雇理由たる事実には右春期闘争開始以後発生したものも多数あり、その内かなり多くのものが、組合活動と目されながら既に検討したとおりいずれも正当となし得ないものであること、特に組合の総決起大会に際し応援挨拶のため重症患者を連れ出した行為(別紙一の二、(一〇))は病院として到底看過し得ないものであると認められること等の点とに鑑みれば、申請人の正当な組合活動あるいは被申請人の組合に対する支配介入の意図の存在を全然否定することは出来ないとしても、それと本件解雇との間に前記相当因果関係を認めるのは相当でない。

そうすれば、申請人の不当労働行為の主張は右の点において失当とすべきものである。

第五、してみれば、本件解雇は結局正当であることに帰し、本件申請はその余の点について判断するまでもなく却下を免れない。

よつて、訴訟費用の点につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 亀川清 菅浩行 伊藤邦晴)

(別紙一)

被申請人主張の本件解雇の理由

被申請人の就業規則第四六条には、「従業員が各号の一に該当する様な行為があつたとき又はなそうとしたときは夫々の情状に応じて懲戒する。但し反則の程度が軽微又は情状酌量の余地があるか或は改悛の情が顕著であると認めた場合は訓戒に止めることがある。」として、第一号に、「氏名又は重要経歴を詐りその他不正手段を以て採用されたもの」、第二号に、「出勤正常でなく職務に誠実でないもの」、第三号に、「業務の遂行を阻害する行為をなしたもの」、第六号に、「業務上の指示命令に反抗したもの」、第一三号に、「上長又は同僚に対し重大な侮辱を加えたもの」、第一四号に、「本則に違反し改悛の情なきもの」とそれぞれ規定してある。又同就業規則第四八条は、懲戒の種類として譴責(第一号)、減給(第二号)、出勤停止(第三号)及び解雇(第四号)を定めている。

ところで、申請人には、右第四六条各号に該当する次の一ないし五のような行為があつたので、被申請人はこれを理由に本件解雇に及んだものである。

一、経歴詐称行為

申請人は、昭和三五年八月一一日その主張の病院(以下単に病院という)に看護婦として採用されたものであるが、その時までに左の(イ)ないし(ハ)のような経歴があるのに、右採用の際病院に提出された申請人作成の履歴書にはこれらが全然記載されていなかつた。

(イ)、昭和二八年一一月から同三一年五月まで福岡市箱崎山田外科病院に勤務していた

(ロ)、昭和三四年三月から同年七月まで福岡県立遠賀療養所に勤務していた

(ハ)、昭和三四年八月から同三五年三月まで北九州市小倉区小倉板櫃病院に勤務していた

そして、右各勤務期間中のことについて申請人は、採用の際面接の衝に当たつた病院の園田婦長の問に対し、「直方の姉の所の手伝いをしていた。」と答えてその旨同婦長を誤信させたものである。

ところで、右の(イ)ないし(ハ)の経歴は、申請人を採用する直前の六年一〇ケ月間のものであつて、病院としては採用に当たり最も関心を有する期間内のものである(なお、そのような期間内の経歴として、申請人は、病院として最も調査に不便な大分の高橋病院勤務の事実のみを履歴書に記載したに過ぎないが、このことは申請人に経歴秘匿の故意があつたことの証左でもある)。又、申請人が右(イ)ないし(ハ)の各勤務病院を退職した原因は、(イ)の場合は、同病院の山田医師が嘱託医をしている福岡東警察署の署員と申請人との間にトラブル(同署員が申請人に中共に居た当時のことを尋ねたのに対し、申請人がそのような調査は人権を侵害するものだと難詰したもの)が起こり、困つた同医師が申請人のために就職を世話してやるという形で友人関係にある大分の高橋医師の所に就職させ、体よくやめさせたものであり、(ロ)の場合は、臨時看護婦として採用されたものの、試採用期間経過後本採用とならなかつたことに激昂し、同療養所の所長室に押し掛けて所長に対し、「何故自分を本採用しないか」と食つて掛かり、同療養所の婦長が見るに見兼ねて小倉板櫃病院に紹介してやるからと執り成したのでようやく治まり、同療養所をやめるに至つたものであり、(ハ)の小倉板櫃病院の場合は、遠賀療養所の婦長の紹介だということで、同病院の朔院長は大いに期待して申請人を婦長の資格で迎えたのであるが、その期待は全く裏切られ、同病院に住込んでおりながら勤務時間が終ると毎晩のようにダンスホールに出かけ、帰つて来てたまたま急患などで他の者が忙がしくても自分の勤務時間は終つたのだからと自室に閉じこもつて顔も出さず、又同院長自身が忙がしく働いているときですら見て見ぬ振りをしている等看護婦としてまして婦長としてあまりにも目に余る態度が多く、同院長の再三の注意にもかかわらず反省しないので、同院長がたまり兼ねてわずか五ケ月で外部から別に婦長を迎え入れ申請人を平看護婦に格下げしたため、さすがの申請人も居辛くなつて自ら退職したものであり、このような一連の退職原因が事前に判明していれば(右各経歴が履歴書に記載してあれば、その勤務場所はいずれも病院の近くで調査も容易であるから、病院としては、必ず右勤務場所に問い合わせる等の調査をなしたはずであり、従つて、右各退職原因も事前に判明していたはずである)病院としては申請人を採用するようなことはしなかつた。

右のとおりであるから、申請人が前記経歴を履歴書に記載せず、且つ婦長に対して虚偽の答弁をして病院に採用されたことは、重要経歴を偽つて採用されたものとして第一号に該当するものである。

二、患者に対する不都合な諸行為

病院では、常日頃、看護婦を始め全従業員に対し、結核療養には精神的な安静ということが極めて大切であるから、患者に対しては親切な態度で応接しなければならず、無用に患者の精神を刺激するような言動は厳禁する旨、又患者に療養目的に反する行為(例えば、患者を私用に使うようなこと)をさせることは一切禁止する旨指示していたのにかかわらず、申請人にはこれに反する次の(一)ないし(一〇)のような行為があつた。

(一)、昭和三六年二月二六日、病室からトイレに行く途中看護婦詰所の前の廊下を通つていた藤田二三子患者を呼び止めて詰所の中に入れ、自分はこたつに入つたまま、「机の上のペンを取つて」と言つてペンを取らせた。

右行為は、第二号後段第三号及び第六号に該当する。

(二)、昭和三六年四月五日、山口タカ患者が、外出先から夕食が必要である旨電話連絡していたにもかかわらず配膳がなされていなかつたことについて園田婦長に訴えたので、同婦長がそのことを申請人に伝えると、申請人は、同患者と同婦長を前にして、先ず婦長に対し、「患者の一方的な言い分ばかりを聞いて」と食つて掛かり、次いで同患者に対し、「前日にも貴女は夕食が要ると言つておりながら、配膳していたのに食べなかつたではないですか。だから今度は用意していないのですよ。」と、たけだけしく高声でわめき立てた。同患者はその場で泣き出して仕舞い、その後婦長に対し、「橋本看護婦の暴力的な言葉には耐えられません。こんなに辛い目に合うのならば早く退院します。」と申し出て、退院予定日より早く退院して仕舞つたが、申請人の右のような言動は、第二号後段第三号第六号第一三号に該当するものである。

(三)、右(二)と同じ頃、髪を結うことの上手な山本フジ患者を消燈時間過ぎの時刻に呼び出し、髪のピンカールをしてくれるよう頼んだ。同患者は渋渋これに応じたが、申請人の右行為は、第二号後段第三号第六号に該当する。

(四)、昭和三七年一月九日、広吉患者が、レントゲン撮影をする予定になつていたのに申請人が忘れていたため撮影が行なわれなかつたと憤慨して園田婦長に訴えたので、同婦長が申請人に、忘れないようにと注意したところ、申請人は、逆に同婦長に対して極めて反抗的な態度で食つて掛かつたばかりか、その後同患者にもやかましく文句を言つた。

申請人の右のような言動は、第二号後段第三号第六号第一三号第一四号に該当する。

(五)、上杉とみ代患者は、かねて腕の神経痛のため申請人に注射をしてもらつていたが痛みが止まつたのでその旨告げて注射を中止してもらつたところ、昭和三七年一一月二日痛みが再発した。そこで、申請人に対し、再び注射をしてくれるよう依頼したところ、申請人は、廊下から病室(個室)内の同患者に向かつて大声で、「昨日は治つたと言つたではないですか。」と意地の悪い感じで申し向け、同患者に他の患者の手前非常に恥ずかしい思いをさせた。

申請人のこのような行為は、第二号後段第三号第六号に該当するものである。

(六)、昭和三七年一二月一九日、園田婦長は、申請人が忘れていたため白石という患者が予定の清拭をしてもらえず、憤慨して退院しようとしている旨聞き及んだので、申請人にそのことについて注意すると、申請人は、看護婦詰所に同患者を呼び寄せ、ろくに自分の過失を詫びるでもなく逆に、「看護業務上の落度が多いのは看護婦不足が原因だから、患者はその点をよく理解して自分達と共に病院に要求してほしい。」という趣旨のことを述べ立てた。同患者はそのためますます興奮して泣き出す始末で、居合わせた園田婦長がたまり兼ねて申請人に注意しても逆に申請人の方から食つて掛かるような状況であつた。

その当時の申請人所属の第二病棟看護婦の欠員は、わずか一名に過ぎず、申請人の右のような言い分自体も正当でない。申請人のこのような行為は、第二号後段第三号第六号第一三号第一四号に該当する。

(七)、佐藤慎三郎患者は、私物のストレプトマイシン注射薬を所持しており、申請人に対しかねてから何度もそれを注射してくれるよう頼んでいた。ところが、申請人は、私物の薬品は使用出来ないと言つて右の頼みを拒否したり、医師に伝えておくというような返事をして放置したりしていたので、同患者はたまり兼ねて、昭和三八年一月一八日、申請人に対し、とにかく医師に尋ねてくれるよう強く要望した。ところが、申請人は、医師の注射してよいとの返事を、方法もあろうにインターホーンを使用して同患者に伝えた。

ところで、病院では、患者の私物の薬品を使用しない建前を採つているわけではなく、患者から私物の薬品を使用したい旨の申し出があれば、その都度担当医師において、当該患者の病状と薬品の関係等をよく検討して右申し出の許否を決することになつている。つまり患者に私物の使用を許すかどうかは、医師だけがなし得る一つの重要な治療行為とされているのである。しかるに、申請人は、右のように、佐藤患者の申し出に対して、医師に何ら相談することなく私物の薬品は使えないと拒絶してみたり、医師に尋ねてみると称して放置したりして何日も同患者を待たせ、強く督促された揚句の許可の返事をインターホーンで伝えるとはまことに不都合なことである。同患者は激怒して所長室までわざわざ事の次第を訴えに来たのであるが、これも無理からぬことであつて、申請人の右のような一連の行為は、第二号後段第三号第六号に該当するというべきである。

(八)、昭和三八年一月一八日、申請人は、所長や婦長の許可を得ず、又何の連絡もしないで、病院の二階看護婦詰所に各病室患者代表者を集めて、看護婦達と話し合う会を開いた。病院には患者懇談会という制度があり、病院から患者に対しあるいは患者から病院に対して連絡事項や要望等があれば、随時病院と患者代表者が懇談する建前になつており、申請人の右行為のように患者に無用な刺激を与えることは許されないところである。このことについて、被申請人の安藤理事長は申請人に対し、「今後は所長や婦長に必ず連絡してその許可を得るよう。」との注意を与えたのであるが、それでもなお申請人は、同年五月二日無許可で勝手に二階に患者を集めて話し合いをした。

申請人のこれらの行為は、第二号後段第三号第六号第一四号に該当するものである。

(九)、昭和三八年五月一七日、岩下久夫患者は、自己の血沈の測定結果に異常な数字が出たので、所属の病棟主任であつた申請人に対し、従来の測定結果とあまりに違い過ぎるから測定の誤りと思う、測定し直してもらいたい旨申し出た。ところが申請人は、「我我看護婦の仕事には絶対間違いはない。」と断言した上、「血沈なんか悪いこともあるのだから心配する必要はない。」と述べて、同患者の申し出に応じない態度を示した。同患者は、やむを得ず他の看護婦に依頼して測定し直してもらつたところ、やはり前の測定結果が間違つていたことが明らかとなつた。そこで、同患者がそのことを申請人に告げに行つたところ、申請人は、素直に謝罪しようとしないで、「貴方の気の済むように婦長のところでも所長のところでも言いに行きなさい」という趣旨のことを言い返す有様で、同患者を激怒させた。

同患者の怒りは、所長が陳謝の意を表わしたのでやつと静まつたが、申請人の右のような行為は、第二号後段第三号第六号に該当するものである。

(一〇)、昭和三八年五月一八日頃、申請人の所属する長垂療養所労働組合の総決起大会が、病院のすぐ外側の病院玄関に通ずる道路上で開かれたが、たまたま数人の患者が二階のベランダから右大会の有様を見物していたところ、申請人がやつて来て、誰か患者の中で右大会応援の挨拶をしてくれるよう申し向け、結局その中の一人であつた籾井みつる患者を自ら手を引いて連れて行き、組合員約二五名、外部団体員約五〇名の面前で応援の挨拶をさせた。

同患者は、喀痰検査(同月二三日実施)ガフキー五号、安静度二度という病状で、病院では最重症の患者であつたから、たとえ同患者が自発的に右のような挨拶をしたいと申し出ても、看護婦たる者はこれを制止すべきものである。まして、申請人は当時主任看護婦の地位にあつたのであるからなお更のことである。

申請人の右行為は、第二号第三号第六号に該当する。

三、上司や他の従業員に対する不都合な諸行為

申請人には、次の(一)ないし(一三)のような諸行為があり、これらはいずれも少なくとも第一三号に該当するものである。

(一)、昭和三五年一〇月、「さざ波会」の世話に関係したことで吉田昭子看護婦を面罵した。同看護婦は、泣きながら園田婦長に退職を申し出る程であつた。

(二)、昭和三六年一二月頃、ガラス磨きをしていた森山掃除婦に対し、「物好きでそんなことをする。」と嘲弄した。

(三)、昭和三七年一月一〇日、荒谷看護婦が業務上のことで申請人からひどく叱責され泣きながら園田婦長に退職を申し出て来たので同婦長はこれを慰留した後申請人に対し、もう少し柔らかな言葉使いをするよう注意したところ、申請人は、同婦長に反抗し大声で怒鳴り食つて掛かつた。

(四)、昭和三七年二月三日、上杉看護婦は、園田婦長から、農業協同組合の懇親旅行に休日を利用して養護係として付添つて行つてくれないかとの相談を受けた(なお、病院の看護婦はこの付添を楽しみにしていたものである)ので、看護婦詰所で申請人にそのことを相談したところ、申請人は、何が気に入らなかつたのか、「所長や婦長の言うことは何でも聞く。」と言いながら突然いきり立つて、持つていたカルテを床の上に投げつけた。同看護婦は、驚いて園田婦長に、「橋本看護婦の下で働くことはたまらない。」と訴えに来た程であつた。

(五)、昭和三七年二月五日は病院の大掃除の日であつたが、ある掃除婦が大勢の看護婦の暇な時を見計らつて、看護婦に洗つたガラス戸を病室の窓下まで運ぶ作業を手伝つてもらいたいと申請人に相談を持ち掛けたところ、申請人は、「看護婦は絶対に出来ない。」とこれを拒絶した。そのやり取りを傍で聞いていた中野補助婦が、「以前は看護婦さんも少しは手伝つていましたよ。」と口をはさんだ途端、申請人は、大声で同補助婦を罵倒し始め、同補助婦は衆人環視の中で声を上げて泣き出した。

(六)、昭和三七年三月二日、吉中看護婦が申請人に対し、「主任(申請人のこと)は自分達が報告したことの申し送りを忘れないようにしてほしい。」と言つたところ、申請人は、激怒して大声を上げ、手にしたカルテを机に投げつけ、同看護婦に対し腕を振り上げてたたき掛つた。同看護婦はその場を逃げ出し、園田婦長の所へ行つて、「橋本看護婦と一緒に勤めることは出来ないので今日限り退職させてほしい。」と申し出る有様であつた。

(七)、昭和三七年八月頃、松本君子補助婦が、看護婦詰所で盆休み頃の勤務表を見ながら、「わー、村山さんはいいな、休みが続いとる。私は一つもない。」と言つたところ、申請人は、これを聞きとがめて、「勤務表にあなた達から口をはさんでもらうことは要らん。」と、他の看護婦四、五人のいる前で同補助婦を激しく面罵した。同補助婦は泣き出して仕舞つた。

(八)、昭和三八年二月二〇日、九州大学からの非常勤派遣の石橋医師が、二階の看護婦詰所で薬品会社の外務員と薬品のことについて対話中、申請人が入つて来て、同外務員に対し、激しい口調で「出て行つてくれ」と言い、同医師を無視した傍若無人の態度を示した。

(九)、昭和三八年三月三〇日、申請人は、就職後まだ日が浅い広川看護婦が風邪と父親の病気で二日づつ休んだことについて、園田婦長に対し、「そんな看護婦はやめさせなさい。」と激しい口調で抗議し、同婦長が、「看護婦不足の折柄そんなことは出来ない。本人が出勤して事情が本当かどうかよく確かめた上で善処する。」と答えても、なお執拗に激しい調子の抗議を続けた。

(一〇)、昭和三八年四月三日、申請人は、園田婦長に対し、二階看護婦詰所で、楢崎看護婦のことに関し、「看護技術のない者を定員の一人として何故雇つたのか。婦長が養成してまで置かねばならないものか。」等と激しく面罵したが、その矢先の同月二四日、第一病棟に二名の欠員が出来たので、同婦長が欠員のない第二病棟から暫定的に一名補充しようとして、当時の同病棟主任の看護婦の申請人に対し、同病棟看護婦詰所において、「第一病棟に補充の看護婦が来るまで楢崎看護婦でいいから回してもらいたい。」と相談したところ、申請人は、同婦長に対し、「婦長の職権を利用して何ということを言うんですか。何故自分にそのようなことを言うんですか。みんなの看護婦を集めて話しなさい。」と激しい口調で食つて掛かり、同婦長において、「貴女が主任だから相談しているんですよ。」と言うや、「帰れ、帰れ」と怒号して同詰所から同婦長を追い出した。

申請人の右行為は、第一三号のみならず、第二号後段第三号第六号にも該当するものである。

(一一)、昭和三八年五月一六日、岸川所長と園田婦長が異常患者の回診のため第二病棟看護婦詰所に入つて行くと、申請人は、同病棟主任看護婦でありながら、わざと直ちに同詰所を出て行き、他の病棟の詰所に出かけて話をしていた。そのため、岸川所長は他の看護婦を伴つて回診せざるを得なかつた。

どこの病院でも医師の回診に当たつては、当該病棟の全般的状況を最もよく把握している立場にある病棟主任看護婦が付添つて回ることが常識であり、まして異常な患者の回診ともなればなお更のことである。それにもかかわらず、申請人は、岸川所長の回診には常日頃ほとんど付添つていないばかりか、右のように異常な患者の回診に際しわざと抜け出して行くなどという行為にまで及んだのであつて、右行為は、同院長に対する無言の侮辱行為であるのみならず、自己の職分を放棄し、正常な業務の遂行を阻害する行為というべきであつて、前記第一三号の外、第二号後段第三号にも該当するものである。

(一二)、昭和三八年五月二二日、岸川所長を初め他の医師がすべて不在であつたので、園田婦長は、羽原患者の外泊申出に対し医師の代理でこれを許可した。医師不在中緊急の用件で患者が外泊を申し出た場合、婦長がその許否を決するのは当然の処置であり、特に同患者の場合、その外泊届の主任看護婦捺印欄にあらかじめ申請人の印が押捺されていたのであるから、申請人がとやかく言う筋合のものではないのに、申請人は、園田婦長の所にやつて来て、「主任の自分が関知しない患者の外泊の許可を婦長が勝手に与えた。こんなことなら今後自分は患者の外出泊の手続には一切タツチしない。」と怒鳴りながら、持参の外出泊届用紙数十枚を同婦長の目の前に投げ出した。そればかりでなく、理事長、所長、婦長のことについて罵りわめき散らした。申請人は、おそらく同患者の外泊届に盲判を押したために右押捺のことを忘れて仕舞つて右のような行為に及んだものと推測されるがこのような行為は、前記第一三号のみならず第二号後段第三号第六号にも該当するものである。

(一三)、病院は、申請人ら所属の労働組合との第六次団体交渉について、その日時、場所、人員等に関する打ち合わせを、昭和三八年六月五日午後一時から所長室において双方一名づつ代表者を出して行ないたい旨文書で同組合に申し入れておいたところ、当日その時刻になるや、申請人を筆頭に七、八名の同組合員が所長室に押し掛けて来た。そこで、病院側代表者の安藤理事長が、「団体交渉の日時、場所、人数についての打ち合わせだけだから、双方一名づつでよいではないか。こんなに多くの者が職場をはずして、仮に打ち合わせが長くなつたら一体仕事はどうなるのか。」と尋ねたところ、申請人は、「仕事なんかどうでもよい。」と放言し、同理事長の再度の「仕事なんかどうでもよいのか。」との詰問にも「そうだ。」とうそぶくような態度で答えた。更に、右打ち合わせの後所長室から出て来た申請人に対し、園田婦長が業務上の話をしようとして声をかけたが、申請人は、明らかに同婦長の顔を見ながら返事もせずに通り過ぎようとした。

右のような理事長や婦長に対する申請人の態度は、前記第一三号のみならず、第二号後段第三号第六号にも該当するものである。

四、出勤正常でない行為

申請人には、次の(一)ないし(九)のような正常でない出勤行為があり、これらはいずれも第二号前段に該当する。

(一)、昭和三七年一月九日、朝の申し送りの際渡辺看護婦と口論して寄宿舎に引き返し、二時間後ようやく出勤した。

(二)、昭和三七年三月二六日、一二時から一四時過ぎまで職場を離れて洗濯室に行つていた。

(三)、昭和三七年三月三〇日、一二時から一四時まで職場を離れて寄宿舎に帰り、こたつに入つてしやべつていた。

(四)、昭和三八年四月二七日、外出先から電話して勝手に欠勤し、翌二八日の日曜日には勝手に出勤した。そもそも看護婦の出勤内容は、勤務表によつてあらかじめ定められており、同表は、病棟主任看護婦が原案を作成し、特段の事情のない限りそのとおり認められる慣行ではあるが、一度定められてからは主任看護婦といえども勝手に変改することは許されない道理である。申請人の右行為は、勤務表の勝手な変改行為というべきであつて、これは、前記第二号前段のみならず、同号後段第三号第六号にも該当する。

(五)、昭和三八年五月二八日、他の看護婦四名と共に一四時五〇分から一五時四〇分まで許可なく職場を離れ、寄宿舎において高千穂製紙労働組合員と話をしていた。

(六)、昭和三八年六月三日、正午から一三時過ぎまで右(五)と同様の所為に及んだ。

(七)、昭和三八年六月五日、他の看護婦一名と共に正午から一三時三〇分まで許可なく職場を離れ、寄宿舎に行つていた。

(八)、昭和三八年六月九日、勤務に当たつていたにもかかわらず、午後から無断で欠勤し外出した。

(九)、昭和三八年六月一〇日、園田婦長が業務上の用件で申請人に会うため、一四時及び一四時五〇分の二回にわたり申請人所属の第二病棟を巡回したが、申請人は見当たらなかつた。なお、申請人は、同日一五時一〇分に寄宿舎を出て外出した。

五、びら貼り行為

申請人及びその所属の労働組合の組合員らは、次の(一)ないし(四)のような経過で、墨ないしは赤や黒のマジツクインキで、「所長所長とイバルナ所長」、「団結、団結」、「斗い抜こう」、「組合員をナメルナ」等の下品あるいは挑発的な文句を稚拙な文字で紙質の悪いざら紙に大書して作成したびら(横約一二センチ、縦約三〇センチ)を、病院の受付や玄関の透明ガラス、玄関を入つてすぐのレントゲン室の白壁、管理棟廊下の壁面、二階病棟への階段の壁、病室の柱等所構わず、裏にべつたりとのり付けした方法で雑然と貼付した。

申請人は、右のような組合員のびら貼り行為を企画、指導したものであるが、その意図するところは、明らかに患者に対する扇動以外になく、又びらの貼られた場所及び方法、びらの内容等も、病院の美観に最も関係ある場所をよごし、病院の最も重要な療養方針である患者の安静を極度に乱すようなものであつて、このようなものは到底正当な争議行為とはいえない。このような違法な争議行為を指導した申請人の行為は、第二号後段第三号第六号第一三号に該当するものである。

(一)、昭和三八年五月一四日午前一時頃、六六枚のびらを貼付した。病院側は直ちにはぎ取るよう組合に要請したが応じないので、病院側の手ではぎ取つて組合に引き渡した。

(二)、翌一五日未明、再び一〇九枚のびらが、更に一層雑然と貼付された。病院側は、再びこれを撤去して組合に引き渡すと共に、今後は破棄する旨通告した。

(三)、翌一六日未明、更に約一五〇枚のびらが貼られ、病院側はこれをはいで破棄した。

(四)、翌一七日未明、又約一五〇枚のびらが貼られ、病院側の手ではがされて破棄された。

(別紙二)

解雇理由に対する申請人の答弁と主張

一、就業規則第四六条及び第四八条の内容が被申請人主張のとおりであること、本件解雇が被申請人主張の各事実を理由としてなされたことは認める。

二、経歴詐称行為について

申請人が、(イ)ないし(ハ)の勤務経歴を有すること、病院に採用されたのが昭和三五年八月一一日であること、右採用の際病院に提出した歴履書に右(イ)ないし(ハ)の経歴を記載しなかつたことは、いずれも認めるが、その余の事実は否認する。右各経歴はいずれも短期間の勤務経歴であり、又看護婦は一般に転々と勤務場所を変えるものである等の事情から、申請人は、右のような経歴を記載しなくても大した問題にされないと考え、他意なく右不記載の所為に及んだものである。従つて、申請人は採用されるため故意に右経歴を秘匿したものではなく、仮にそうだとしても、右のような経歴は重要な経歴ということは出来ないから、就業規則の、「重要経歴を詐つて採用されたもの」には該当しない。

三、患者に対する不都合な諸行為について

(一)について

否認する。仮にそのような事実があつたとしても、親しい患者と看護婦の間では別に問題となるようなことではない。

(二)について

同日同患者が、引膳後外出先から帰り夕食の用意がないことについて園田婦長及び申請人に尋ねたこと、その際申請人が、同患者に対し、「貴女は、前にも夕食が要ると言つておきながら帰らなかつたからじやないでしようか。」と言つたことはあるが、その余の事実はすべて否認する。

(三)について

否認する。

(四)について

否認する。その頃、同患者がレントゲン撮影をする予定になつていないのにそうなつていると誤解して、申請人に対し、「頼んだことをしてくれない。」と不満をもらしたので、申請人が誤解である旨説明したものである。

(五)について

事実は大体認める。ただ、同患者に申し向けた言葉は、「昨日注射を止めたばつかりだつたじやないの。又痛くなつたとね。」であり、申請人としては気安い気持で言つたつもりであつたが、同患者が気を悪くしたとすれば、恐らく痛さのためいらいらしていたからであろう。

(六)について

否認する。同患者は、外出外泊が多く、その週のベツドバスの日である月曜日にも外出して仕舞つた。翌火曜日、申請人が巡回していると、同患者が、「私はまだベツドバスでしようか。」と聞いたので、申請人は、「そうですよ。」と答えた。同患者は、右の問答で、当日ベツドバスをしてもらえるものと思い込んで仕舞い、それがしてもらえなかつたことに興奮して、いくら説明しても意地になつて納得しようとしなかつたものである。

(七)について

患者の依頼でその私物のストレプトマイシンを注射してやることは、病院の規則の禁止するところであり、又効果もないことである。従つて、この点に反する被申請人の主張は否認するが、同項その余の事実は大体認める。

(八)について

被申請人主張の両日その主張のような会を開いたこと、一月一八日の会の後理事長が申請人に対し、無断で患者と看護婦との懇談会を開催しないようにと注意を与えたことは認めるが、その余の事実は否認する。一月一八日の会合は、患者の洗濯設備のやりくりのことについてのものであり、五月二日のそれは患者に配る牛乳を冷たいものにするか暖かいものにするかについての話し合いの会であつて、いずれも医療業務にとつて極めて有益なものである。このような話し合いの会を開くのは、主任看護婦の当然の業務内容であつて、許可を受ける必要はない。仮に、理事長の右注意以後はその必要があるとしても、その後に開かれた五月二日の会合について病院側はこれを黙認したものである。

(九)について

同日同患者の血沈が誤つて測定されたことは認めるが、その余の事実は否認する。申請人は、同日右測定の衝に当たつた寿田看護婦に頼まれて同患者の所に謝罪に行つたところ、同患者がしつこく同看護婦を非難し続け、「よつぽど所長か婦長に言いに行こうと思つた。」と繰り返し言うので、最後に、「そういう時は所長にでも誰にでも言つて早くすつきりしなくてはいけませんよ。」と言つたまでである。

(一〇)について

同日頃同大会が病院玄関前通路で開かれたこと、申請人が、誰か患者の中で応援の挨拶をしてくれるよう要請したこと、その結果同患者が被申請人主張のとおり挨拶をしたことは認めるが、その余は否認する。申請人の右要請は、組合決定の執行としてなしたものであつて、正当な組合活動である。又同患者は自発的に挨拶に立つたものであり、その挨拶もほんの二言三言の短いものであつた。

四、上司や他の従業員に対する不都合な諸行為について

(一)について

否認する。ただその頃同看護婦との間に気まずい空気があつたことは事実である。しかし、以後は仲良くやつていた。

(二)について

否認する。

(三)について

否認する。ただ、同日申請人が同看護婦に意見をしたことはある。

(四)について

同日同看護婦が、看護婦詰所にいた申請人の所へ、農協の旅行に養護係として随行したい旨申し出たことは認めるが、その余の事実は否認する。

(五)ないし(七)について

いずれも否認する。

(八)について

同日同医師と同外務員が二階の看護婦詰所で対話していたことは認めるが、その余の事実は否認する。その時看護婦詰所は最多忙であつたのに、同外務員が薬の宣伝を始めたので、申請人は、「すみませんが、そういう話は下でしてくれませんか。」と言つたら、同外務員は、「いや、どうもすみません。」と言つて出て行つただけのことである。

(九)について

否認する。

(一〇)について

否認する。四月三日の件は、病院の人員配置計画に対する批判をしたに過ぎず、同月二四日の件は、園田婦長が病院組合間の人員に関する約束に反した看護婦の配置転換を申し入れ、申請人がその不当性を繰り返し説明したのに聞き入れなかつたので、「今は仕事が忙しいので帰つてほしい。」と言つただけである。

(一一)について

否認する。

(一二)について

同日同婦長が同患者の外泊申出を許可したこと、申請人が外出泊許可願用紙を一括して同婦長に渡し、「これからは婦長が自分でやつて下さい。」と言つたことはあるが、その余の事実は否認する。申請人が右行為に及んだのは、右許可願は原則として三日前に提出する規則になつているのに、忙しい朝の勤務時に今から外出したいという患者が多く看護婦が走り回されるので、同婦長にその改善を要求していた矢先、同婦長自ら勝手に規則を無視して同患者に外泊の許可を与えたからである。

(一三)について

被申請人主張のとおりの申し入れがあつたこと、同日数名で所長室に行つたこと、そこで同理事長が被申請人主張の趣旨のことを言つたことは認めるが、その余の事実は否認する。申請人は、理事長の言葉に対し、「問題をそらさんで下さい。代表は組合で、自主的に決めます。」と言つたに過ぎない。なお、申請人らは、病院側が一方的に打ち合わせの交渉人員を一人に制限してきたので、これに対する抗議をするため、右のように所長室に行つたものである。これは正当な組合活動である。右打ち合わせの後、同婦長が申請人を呼びとめたことはあるが、その時の業務上の話とは、「木山さんが休ませてくれと連絡がありました。」ということだけで、申請人はこれに対し、「ああそうですか。」とはつきり答え、話を終つたものである。

五、出勤正常でない行為について

(一)について

ほぼ認める。ただ、口論というのは、同看護婦が同日朝の申し送りの際こたつに入つたまま集会しなかつたので、申請人が主任看護婦として集合の催促をしたものである。同看護婦は、どうしても集合しなかつたので、申請人は、右申し送り後乱れた気持を静めるため寄宿舎に帰つていた。しばらくして、園田婦長が様子を見に来たので一緒に病棟にもどつたが、同婦長は別段文句を言わなかつた。

(二)について

否認する。ただ、申請人は、渡辺看護婦と共に同日安静時間中三〇分位、病院内の洗濯室において、古野、山崎両洗濯婦から春闘要求事項について意見を聞いたことはある。四人共その時間中しなければならない仕事はなかつた。申請人のかかる行為は、正当な組合活動というべきである。

(三)について

そういう事実はあつたかも知れない。しかし、当時は殆んどの看護婦が、何かと言えば勤務時間中宿舎に帰りそのようにしていた。

(四)について

被申請人主張のとおり欠勤及び出勤したことは認めるが、その余の事実は否認する。右欠勤については電話口に出た渡辺看護婦を通じ園田婦長の許可を得たものであるが、そもそもその当時勤務表の具体的運用は、主任看護婦の裁量に任されていた。

(五)及び(六)について

いずれも認める。しかし、これらの行為は、病院における労働慣行上問題とされていなかつた程度のものである上、正当な組合活動に属するものである。即ち、当時組合と被申請人とは争議状態にあり、組合は既に、五月八日から職場放棄を含む一切の合法的争議行為を行なう旨労調法上の予告をしていたのであるから、高千穂製紙労働組合員との交流のための右職場離脱は、適法な争議行為である。仮にそうでないとしても、組合書記長の要職にあつた申請人が、このような目的でこの程度の職場離脱をすることは、被申請人が争議に関し強硬手段に出ていた当時においては、組合の闘争態勢強化のために必要であり、正当な組合活動というべきである。

(七)ないし(九)について

六月五日及び同月一〇日のことは否認する。同月九日の午後外出したことは認めるが、当日の午後は勤務に当たつていなかつた。即ち、同日は日曜日であつたが、当時日曜日の日勤者は、慣行上遅出と早帰りに分かれて勤務しており、申請人は当日その早帰り組であつた。

仮に、同月五日、九日、一〇日に被申請人主張のとおり、申請人において無断職場離脱ないしは欠勤をなしたとしても、それはいずれも正当な争議行為としてなしたものである。

六、びら貼り行為について

申請人及びその他の組合員らが、被申請人主張のような経過で、その主張の場所にびらを貼つたことは認めるが、それは、組合が正当な争議行為として企画し、組合員の手で実施したもので、申請人の行為もその一環をなし、正当な組合活動であるから懲戒事由となし得ない。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例